2017年4月21日金曜日

川のほとりにて

O.M.

スーパー堤防のなかったころ

水面に映るさざめく光、ほのかに潮の香り、そこは幼い私には川辺というより、海辺のように感じていました。荒川の四ツ木付近の話です。
荒川の左岸(上流から見て左) ー父が釣りに行く所です。昭和20年ころ(1945)の荒川は土手の下にはすぐ川が流れていました。 そこの風景は今でも思い出すとなにかさわやかな感じがして夢のようです。

父の荷台に乗せられて

幼い私を父は自転車の荷台に木の箱を付けていつも荒川に連れて行ってくれたのです。

母が亡くなる前にポツリと話してくれました。父が私を箱に入れていざ出発しようという時、母が見送る前で私を箱から落としてしまったそうです。 その話を聞いた時それ以外でも落とされていたかも知れないなと思いました。それにしても無事でなにより。

夢の島まで舟で往復した思い出

荒川の思い出のもうひとつは海まで行ったことです。 小学生の一年生くらいだと思います。坊さんに連れられて荒川を下って行きました。母と一緒で他に二十人位いました。千寿新橋のボート小屋から舟で行ったのですが私は初めての舟。 思っていたより揺れはなかったです。海に出てまず夢の島の横を通りました。ゴミの島です。そこからお台場、大きな島という感じです。上陸して高台から見るとテントがいくつかありました。 キャンプ場です。帰りは隅田川から千住に向かいました。

大きく様変わりした荒川

荒川ほど変化したところはないでしょう。

現在は夢の島が陸続き、夢のようです。浦安もそうです。中学の時、浦安まで自転車に乗って友達四人でアサリを取りに行きました。葛西橋から下流は漁村でした。 埋め立てられた現在とは全く別の場所のようです。かつて海だったところを私は見ているので悲しさを感じるほどです。

バイク好きと本田技研テストコース

荒川上流も下流ほどではありませんが変化しています。 中学の時代、私はバイクに興味があり上流の和光によく行きました。本田技研の工場がある所です。笹田橋を過ぎると土手の下にテストコースがありました。 ホンダのバイクが世界チャンピオンになっていた頃です。私はそこによく行き土手の上から疾走するバイクを眺めていました。土手の上にはお墓が二つありました。テスト中の事故なのでしょう。 現在はもうありません。

そこからさらに先まで行きました。和光を過ぎると土手の上に牛がいるのです。横を通るのが少し嫌で牛と目が合い、なによりも大きいので恐怖でした。 志木あたりになると秩父連山が大きく見えてきます。私は秩父にあこがれました。あそこまで行きたい。それが私がバイク好きになったきっかけです。

荒川との深い縁

現在六十歳を超える私でも志木くらいなら楽に自転車で行きます。荒川とは私にとっては人生の一部です。(March 5,2017)

編集部注:筆者は野宿生活をしています。

荒川の動物

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