--鈴木実
これは人生の敗残者がスラム街の生活以下の最低の生活、青カン(野宿)組の仲間入りをし、生きながら完全な廃人として精神病院の一角に身を置くことが当たり前になった男がいかにしてアル中から、更にスラム街からの脱出を果たしたかという物語である。
中卒で社会へ
私は1935年(昭和10年)に大阪に生まれ親元を離れ北海道で育ちました。 かろうじて義務教育だけは終えて世の中に出ました。 朝鮮戦争(1950)が勃発し日本経済は立ち直ろうとしていました。当時、高校進学率は4割程度でした。高校進学率が8割を超えたのは1970年(昭和45年)ころです。
私が考えていたことは「いつか死ぬかわからないし、親兄弟もいないのだから自分の好きなように生きよう」というものでした。しかしその結果、 20歳代の半分は刑務所で過ごす結果になりました。
好景気でサラリーマン生活
ここで反省してなんとか刑務所にはぶち込まれないですむ生活をしようとしました。東京オリンピック(1964)の景気のよい時期でしばらく普通の会社員として過ごしました。アル中に
給料の半分を酒につぎ込むようになり(アルコール依存症が進行していたのです)酒のために職を失い、転居、転職を繰り返しました。 完全に酒の奴隷になっていたのです。段々と酒のためにランクが下がり始めたのです。会社員、工員、労務者へと。 アル中も進行していました。暴れて精神病院に強制入院させられたこともありました。
大阪西成へ
ついに大阪西成に入る日がきました(1970)。私が35歳の時です。給料日にすべての支払いを踏み倒して夜行列車に乗り、海を渡り大阪を目指しました。JR新今宮駅前のセンター(あいりん職安)には地下足袋、七分ズボンの労務者が群れていました。最初は面食らいましたが、立ち飲みで一杯おごってあげた人に現場を世話してもらい割のいい飯場に落ち着きました。でもまた転落が待っていました。
強制入院
またしても発狂状態で強制入院です。ある程度で退院できましたが、酒を止めることはできず飲み続けたために寝小便をしてしまい飯場を追い出されたり、自分でトンコ(逃げ出し)したり、手配師のカオをつぶして段々とケタ落ち(条件の悪い)仕事に行くようになりました。
そして幻覚、幻聴の再発。そして愛隣地区の福祉事務所に泣きついて自分から望んで精神病院に入院させてもらいました。
病院を追い出される
しかし外出の際に酒を飲んでしまい、退院させられました。その後は最悪でした。岡山で働いていて酔っ払い、記憶を失い、気が付いたら西成だったとか、田無(東京)に仕事に来て駅で酔っ払い、気が付いたら大阪でした。幻聴、幻覚が出て恐ろしくなりまた入院しようと相談しましたが、強制退院の前科がたたって断られました。 ここでは酒を断つことはできないと気付き、東京に出ることにしました。
(続く)
資料
筆者 鈴木実
1977.7.30
なかまVol.7
編集発行 東京都城北福祉センター
(公益財団法人城北労働・福祉センター)
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